勝利者の島
「勝った!勝った!勝った!」兵士たちが何度目か知れぬ勝鬨を上げている。打ち捨てられた敵方の攻城塔群を、抜け目ないロドス商人たちは「あれを売れば2タラントン、隣のと合わせれば3タラントン」と早くも値踏みし始めたようだった。
ロドスの街全てが勝利の味を確かめている中で、私は一人海岸でうかない顔をしていた。
私の名はデマラタス。ロドスのアルコンだ。私は今憂いている。それは愛郷心に欠けるからでは決してない。ヘーリオス神に誓って言える。実際に先の戦いでは艦隊を自ら率いて、数に勝るフリュギア王の軍勢から島を守りきってみせた。
話はそうではなく、むしろ私が誰よりもロドスの前途を憂いているからなのだ。この勝利は次の白波が寄せれば消える水煙のようなものだと、私の眼には見える。
この憂いを分かち合ってもらえるためには、すこし話を遡らなければならない。
いきさつ
ロドス。我が自慢の故郷よ。ドーリア人が小アジアに建てた6つの大都市のうち、ロドス島の3都市が合わさってできた都市。地中海世界で指折りのガラス工房と堅牢な城塞を有する湾港都市だ。エジプトから本土ギリシャにつながる糧道の最要衝として古来より繁栄を謳歌してきた。
繁栄は戦いを呼び込む。古来より支配者はこの島を求めたものだ。カリア人のマウソロス王、ペルシアのサトラップたち、そしてアレクサンドロス大王。
世界支配者にしてアレス神の現し身、偉大なるアレクサンドロス大王。彼の正統な血統が絶えてその霊的な後継者を名乗る諸王たちーーディアドコイが相争う時代が訪れてから、もう4度目のオリンピア祭を迎えた。いまや戦争はギリシャ世界で最もありふれた光景の一つになっている。
中でも最有力のディアドコイ、それが隻眼王アンティゴノスだ。
地中海を席巻せんとする王にとって、ロドス島は「喉に引っかかった魚の小骨」のようなものだったらしい。王が「小骨」を取り除こうとしたのは、オリンピア紀118回第4年*1のことだ。息子のデメトリオスに軍艦200隻と兵士3万を与え、島を攻めさせた。
幾重にも攻城塔が林のように連なり、矢と砲弾がロドスの市壁を揺らした。しかし王にとって誤算だったのは、我々が「小骨」というより「小剣」だったということだ。
アンティゴノスと対立するもう一人のディアドコイであるプトレマイオス・ソーテールが救援に駆け付けたことで、私とロドス市民は頑健に戦うことができ、1年に及ぶ防衛戦の末に勝利を得た。「ソーテール(救済王)」!なんと良き名か。
しかし翻って言えば、アンティゴノスにとってロドスはせいぜい「小剣」程度のものでしかない。攻囲戦に先立つサラミスの海戦でアンティゴノスはエジプト艦隊を壊滅させたので、戦後のロドスは地中海で孤立することになった。
王はなんら仕損じてはいなかったのだ。我々にとっての勝利は、彼にとっては敗北ではなかったというわけだ。
いずれアンティゴノスはロドスを再び攻めるだろう。次も幸運に恵まれるだろうか。ソーテールは海を渡って来るだろうか。これは愛国者である私にとって、憂うだけに足る理由だった。
短い平和とその終わり
ペライアの拡大
イオニア人の都市・ミレトスがハリカルナッソス方についたが、大した敵ではない。デメトリオス・ポリオルケルテスとさえ互角以上に渡り合った歴戦のロドス戦士が彼らの軍勢を散々に打ち破った。攻囲は数か月続いたが、私が率いる艦隊の封鎖もあって最終的に両市は我々の支配の下に収まることになった。
しかし私は両市の市民に厚遇を与えた。彼らはロドスの民会にロドス市民と同じように参加すべきだ。これはある種の都市同盟だと思ってもらいたい。ロドスはギリシャ都市にとってあくまで解放者であり庇護者なのだ。実際ハリカルナッソスのアポロニス一門などに至っては、後々ストラテゴスを始めとする多くの高官についたものが出た。
アポローン神がロドスを加護しているとする神託がデルフォイより届いたのは、ちょうどこの頃のことだ。アポローン神とはつまりヘーリオス神だ。私は自分の選択が正しかったのだと改めて感じた。
しかしまだ終わりではない。「憂い」を消し去るのには、すべてやり遂げてからではいけない。私のアルコンとしての任期はもう終わるが、市民派閥の領袖としてストラテゴスの一人として、私は自分の案を実現させるつもりだ。
エジプト遠征
こうして準備は整った。エジプトと戦おう。いまやソーテールは死に彼の子ケラウノスがかの国の王となっている。かつての戦いの義理を守る必要ももうないだろう……私は自分にそう言い聞かす。
民会はハリカルナッソスの時にまして私に反対した…しかし私の「勝利者」としての名声がなんとか民衆を動かし宣戦にこぎつけることができた。ハリカルナッソスを攻め落とした英雄であり、この時のアルコンであったテミスティオス将軍が私に賛成してくれたのが最後の決め手だった。
狙いはエジプトが有するエーゲ海の諸島の従属都市・コスとアンドロスだ。エジプトがこれを守るためには艦隊が必要だが、ロドスは彼らを超える三段櫂船を用意することができる。海を渡ることができなければ、ホプリタイの槍がいかに長かろうと我々の脅威ではない。
私の読みは当たった。コスやアンドロスにも兵はいたが、プトレマイオス朝の本国軍に比べればわけもない。決定的だったのがハリカルナッソス近郊での戦いだった。投石兵とペルタスタイで構成された軽装のコス軍を、サリッサで武装したマケドニア式ホプリタイを中核とするロドス軍が破り去ったのだ。
コスやアンドロスを陥落させた時も、ハリカルナッソスの時と同じように我々は解放者としてふるまった。ギリシャ人は生来専制を嫌う。軍を率いたアルコンのテミスティオス将軍も同じ気持ちなようで、略奪は最低限に抑えていた。
エーゲ海の島々すべてを引き渡すようアレクサンドリアへ使いを送ったがなしのつぶてだ。講和を勝ち取るにはエジプト本土へ兵を送るしかないだろう。幸いなことにアンティゴノス朝もまたエジプトへと侵攻しており、ケラウノスはシリア方面へ軍を割いている。いまならアレクサンドリアを攻めることができるはずだ。
未だエジプトは海軍を再建させるに至っていない。私はアレクサンドリア沖で彼らの弱体な海軍を破り、アレクサンドリアを攻囲した。この都市のなんと壮麗なことか…若いころに旅行へ出たペラやアテネやリュシマキアも巨大だったが、アレクサンドリアほど都市を私は見たことがない。しかし、海上優勢を保つロドスは頑強にこの地を攻め、ついには陥落せしめたのだ。
人!人!人!人!ナイル川デルタの地勢はギリシャ本土とは全く異なる。エジプト人奴隷が多く働く効率的で豊沃な農場がはるかかなたまで続く。この大河に連なる土地に比べれば、エーゲ海の中では肥沃さで知られるクレタ島もただの岩の塊でしかないだろう。ここに蓄えられた富はもはや計り知れない……ギリシャすべての土地を買い上げても余裕があるようにさえ思えた。兵士たちの目の色が変わっていくのを、私はこの目で見た。
すぐにケラウノス王から「コスやアンドロスの島々を明け渡す」との使者が訪れたが、我々は断った。講和を得るというエジプト本土遠征の本来の目的は最早忘れ去られている。もっと、もっと奥へ。
エジプト軍とフリュギア軍が戦うのをしり目にナイル川をさかのぼりながら、当地のエジプト人奴隷をロドス行きの商船に積んでいく。
こうして5年もの時間を経て行われたエジプト遠征は終わった。数万もの奴隷がロドスへと連れ帰られ、島の奴隷市場は地中海で最もにぎわうものになった。コスやアンドロスの島々も我々の同盟に組み入れられることになった。ロドスは富みに富んだ。
私は再び「勝利者」という名声を得て、満場一致でアルコンへと選出された。かつて私を戦争狂と呼んだハト派議員でさえ私を讃えるほどだった。以前「人はすぐには考えを改めることのできぬ生き物だ」と言ったがもう少し言葉を加えねばならないだろう……「ただしロドス金貨を目の前にした時を除く」。
かつてフリュギア王をロドス防衛戦で破った時に私が抱いていた憂鬱は、確かに消え去った。ヘーリオスは海を跨いだのだ。しかし今や別種の憂いが私を包んでいる。繁栄は戦いを呼ぶ。次は果たして勝てるだろうか。
「心配性だな君は」と寄り添い「強くあれ」と励ましてくれたエウデモス師ももういない。私は一人この憂いと戦わなければならないだろう。