うららかな時代
オリーブ冠の人
フリュギア大乱
私が市の公職につくようになったころ、つまりデマラタスが老いて政界を去ったころ。ロドスはほんの30年前には考えつかなかったほどの豊かさを享受していた。
原因は「デマラタスの男たち」だ。デマラタスがエジプト遠征から連れ帰った大量の奴隷たちは俗に「デマラタスの男たち」と呼ばれていた。彼らはロドスのガラス工房で働き、そのガラスが交易船で地中海中へ運ばれ出され、そこで生まれた富が交易船を守るロドス艦隊を支えた。
その一方で、エジプト遠征で繁栄を迎えたもう一つの国、フリュギア王国は苦難に満ち溢れていた。無理もない。彼らは敵を作りすぎたのだ。
きっかけはなんてことのないことだった。デメトリオス・ポリオルケルテスの子、プラクシブロス王が即位したときのこと。その戴冠式で彼はアナトリアの非マケドニア人系太守の寡婦たちを冷遇して列席させなかった。この侮辱に異民族たちは怒り狂った。ビュテニア人、カリア人、カッパドキア人、はたまたユダヤ人までもが王国の各所でフリュギア王に反抗し一斉に挙兵した。戦火はアナトリアからシリアまで広く拡がり、攻囲を受けていない城塞の方が珍しいほどだった。こういったいきさつから、この大乱は「六寡婦の反乱」と呼ばれた。
つけ込むしかない。フリュギアはエーゲ海沿岸部のギリシャ都市を多く支配している。戦線が分散している今ならば、ここを容易に「解放」できるだろう。英雄・テミスティオス将軍がアルコンに選出され彼の下に開戦派が集い、私もこれに与した。しかしフリュギア軍は強大だ。エジプトの援助を失ったロドスにとって、フリュギアとも対立することを恐れる市民の声も大きい。ストラテゴスに選出されていた私は、時間をかけて彼らを説得した。この時オリンピア祭での勝利者としての名声が私の助けになったことは言うまでもない。反対派が折れてテミスティオス将軍がアルコンへと選出され、戦争が始まった。
私はテミスティオス将軍と戦略を練った。やることは簡単だ。優勢なロドス艦隊で海上優勢を作り出し、沿岸や島嶼部の諸都市を一つずつ落としていく。フリュギア軍は主にシリアで戦っており、接敵はしないだろう。あくまで慎重に。一度会敵してしまえばロドス軍は歴戦のフリュギア軍にたちまち破られるだろうことをテミスティオス将軍はよく知っていた。何せエジプトでは味方として彼らと共に戦ったのだから。
ロドス島の対岸に位置するクニドスや、キクラデス諸島の「群島同盟」の諸都市、そしてフリュギア王のギリシャ本土支配の要・メガラの守備隊を降伏させたことで、王の継戦への意欲は完全に失われた。その途上でロドス軍は一度も野戦をしていない。我々は軍勢というよりは火事場泥棒というのに近かった。
しかしこれで終わりではなかった。フリュギアがギリシャ本土への影響力を失ったことで、代わりにもう一人のディアドコイがこれを席巻せんと牙を剥いたのだ。マケドニアだ。
見誤ったとしか言いようがない。もちろん私たち「が」、ではなく私たち「を」!野戦を経ていなかったおかげでロドスには戦える成人男子がいくらでもいたし、なにより艦隊は無傷だった。私は艦隊を、テミスティオス将軍が陸軍を率いて5年あまりマケドニアの沿岸部を封鎖した。
こうして我々は二人のディアドコイに立つ続けに勝利したのだ。エジプト遠征も含めれば三人か。いまや東地中海世界でロドスは無視できない存在となり、我々の艦隊はギリシャ諸都市の羨望の的となっている。
富強
ロドスの議場はそう広くない。そこへロドス市民はもちろんのこと、「ペライア」*1やキクラデスの島々、はたまたコリントスやアルゴスといった本土ギリシャの同盟市からも集まった多くの市民が詰めている。額に汗をしながらその視線は壇上の新アルコン、つまり私に注がれている。
「市民諸兄!同じ父祖を持つヘレネスの堂々たる男子らよ聞いてほしい。エーゲ海が白き腕の女神ヘレの黄金冠ならば、ロドスはそれを飾る宝石だ。ここより栄える都市は地中海広しといえどエジプトのアレクサンドリアしかない。正午が来る度に交易船の群れがロドスへ喜び訪れ、またロドスを惜しみ発つ。」
「ゼウスの寵児、遠矢を放つ神ヘーリオスがロドスを祝福しているに違いない。実際、ここ数年で太陽はますますと燃え盛り、年中が春のようなので我々の農園もまた大いに富んでいることは市民諸兄も良く知っているだろう。」
(同意の歓呼)
「しかしよい宝石職人がいなければ宝石もすぐにくすむ!そう、かつてのアテネがそうだった。そして私を三流職人と呼ぶ市民が、少しにせよいることは分かっている。確かに私は税を増やした。同盟市からの供出金もかつての倍にしている。しかし私服を肥やすためにそうしたのではなく、むしろ国家によく仕えるためにそうしたのだ。」
(ひそひそとささやく声)
「‥‥‥疑う者は私が鍛え上げた市民軍を見て欲しい。ロドスはかつてより長い槍を持ち、かつてより広い盾を掲げ、かつてより多くの馬を駆っている。諸兄から預かった金貨の1枚だって無駄にしたつもりはない。」
「それでもなお私を疑う者がいれば、もはや議場を後にしよう!共に戦場へ向かうのだ。フリュギア王との戦場へ。未だに彼の王朝は乱れている。今こそ、みたびロドスの力を見せるべきではないか?私の、そして諸兄の勇気を試すべきではないか?」
(大歓呼)
「ありがとう、同じ父祖を持つヘレネスの堂々たる男子らよ!小アジアを獲ろう。その地で私と諸兄は、暴王に悩む多くのギリシャ都市に民主制を蘇らせた英雄の一人となるだろう。少なくとも私はそう望む。」
フリュギアとの戦い
我々の戦略はこうだ。まず軍を小アジア側にアガトクレス家のゼクシウス将軍率いる1万6千を配置して小アジアを防衛。と同時にアリストン将軍の2万の兵でアテネを攻略しアッティカ地方を掌握する。それから軍を合流させ小アジアを攻略していく。しかしプラクシブロス王は驚くべき手を使ってこれに対抗してきた。
あろうことか、本来はお互いに対立し覇を争うマケドニア王国と結んだのだ!ロドスは二正面作戦を避けるためギリシャ本土への派兵を諦めざるをえなかった。この状況を打開するためには、早々に小アジアの地でフリュギア王軍を破りイオニア地方へと攻め込む必要がある。
ゼクシウス将軍が選んだ決戦の地はクニドスだった。突出してここを攻囲しているフリュギア王軍の先遣隊を彼は叩いた。
私は間違えていなかった。地の利も数の利も得た新編成の軽騎兵部隊が連中の左右翼を拘束し、脛当て美々しきホプリタイが中央から圧殺したのだ。この緒戦の余勢をかって、我々はイオニア諸都市を解放して回った。
東方でも敵を抱えるフリュギア王は小アジアに十分な軍隊を贈れていない様子だった。代わりにマケドニア王に要請し、援軍を載せた艦隊をイオニアへ向かわせたが……。
フリュギアならばまだしもマケドニアの艦隊ごときに遅れをとるロドス海軍ではない。ホプリタイを満載したマケドニアの船という船が海の底へと誘われるように沈んでいった。愚かな王を持つ彼らが哀れで仕方がない。そして、開戦から3年が経った頃さらに内憂がマケドニアを襲う。
継承の危機だそうだ。マケドニアの軍勢は小アジアはおろかアッティカからさえ、波の退くように去っていった。もはやマケドニアのことは考える必要はない。ロドス軍は再び本土ギリシャへと兵を送り、アテネを陥落せしめることに成功した。
これで大勢は決した。マケドニアが賠償金を支払う代わりに講和を求めてきた。フリュギア王がこれに続いたのはそれからすぐの事だ。イオニアはもちろんのこと、リュキアやアッティカもまたロドスの傘下に収まることになった。
私はロドスに勝利を約束し、実際そうしたのだ。こうして私はアルコンとしての仕事を全うできた。私はかつてオリンピア祭で得た歓喜以上の歓喜を、齢60を超えてようやく味わっている。やりのこすことはもうないように思えた。
大王の死によって訪れた、ディアドコイが相争う時代の趨勢は変化を迎えた。ギリシャ人は専制のくびきを脱しつつある。それはかつて我らの祖先がペルシャ人たちにマラトンで勝利したことを想わせた。今度は相手がマケドニア人に変わったに過ぎない。時代はめぐり再び同じ位置へと戻る…公職を退いたらこのアイデアを書にまとめてみようか。なに、時間はたっぷりとある。題名は…そうだな『歴史』なんていうのはどうだろう。